コミュニケーションに関する情報も、方法も、ツールも、世の中にはたくさんありますよね。それだけ、多くの人が考え、悩み、改善したいと思うからこそだと思います。コミュニケーションはスキルの一つです。つまり、変化するものです(意識をすることでポジティブに変わるものだと信じています)。いくつか投稿はしていくと思いますが、まずは見逃しがちな”決めつけ”に気づくところから始めてみましょう。
”決めつけ”って結局何を指すか?
「決めつける」の一般的な定義を辞書で調べると、
一方的に断定する
と出ます。これをコミュニケーションにおける決めつけと置き換えると、私の言葉にすると、私の視点と価値観で(一方的に)相手はこうだ!と思う(断定する)と同意です。
つまり、決めつける時の主人公は相手ではなく、自分であると感じます。
少し話が逸れるのですが、優位感覚って聞いたことがありますか?(これもまたどこかで書きます。)簡単にいうと、感じる時に、どの感覚がより働くか?というのが、優位感覚です。私は視覚です。子供の時から漫画やアニメ、映画やドラマ、あらゆる視覚エンタメに触れてきたせいか、私の脳内は常に、映像と絵が流れています。記憶を呼び起こす時も映像が浮かびますし、色や、形、目に見えるもので感覚を呼び起こします。時にはカメラわり、編集までします。これは自然と起こるものなので、止められません。
なぜ、あえてここで優位感覚を出したかというと、お伝えしたとおり、私は視覚優位なので、話している時には、映像ないし絵が浮かぶのでストーリーが脳内で浮かびながら話をしています。ストーリーには必ず主人公がいますよね?
コミュニケーションにおいて、この話の主人公は誰なのか?というのが非常に重要です。

私がよくしてしまう決めつけ
私が今でもちょいちょいしてしまうのは、家族への決めつけです。だいたいこれが起こるのは、(相手ではなく)私が望む結果を求めたいときに起こります。
ついこの前も父親が仕事中に入院した時にも決めつけてしまいました。父は18歳から東京に出て今でも役者として現役です。先日も演劇があったのですが、急遽体調不良で病院のかかりつけになってしまいました。その時の私の言葉を素直に書くと、「お父さんはこんなに家族が心配しているのに、入院もせず、舞台を続けるなんて、自分も家族のことも大事にしていない!」という怒りでした。この文章の主人公が父ではなく、私であるというのはわかりますか?体調不良の中、演じ続ける父は、事実なんですが、それを心配したり自分も家族も大事にしていないと考えるのは、これは私の主観です。私は父に心配が通じて欲しい、入院してほしい、そう伝えたかったんですね。ある意味、家族という価値を使って、父親の行動を変えようとしたと言ってもいいかも。ここでの主人公は父親の体を心配する娘、私が話の主体です。
これを私が、どう考え直したかというと、父を主人公にしてみました。18歳から大好きな演劇の仕事を続けていて、すごく大事な役で、大好きな舞台で、信頼してもらっている劇団にも、お客様にも迷惑かけたくない、いいものを見せたい、そう思う父を想像しました。さらに、自分の体を一番わかっていて、体が辛い思いをしているのも本人ですよね。そう考えると、娘として心配するのは当たり前なのですが、父が選んでいる選択をどう支援できるか、望む選択ができることを願う方が、私がありたい姿だなと思い返しました。
家族間ではその関係の近さゆえに、ついつい決めつけちゃう時ってありますよね。
もう一つの経験は自分の子供が小学校に行かなくなった時のことです。私が当初思っていたのは、
- 学校に行かないと、中学校にも、高校にも大学にもずっと行けなくなる
- このまま学校に行かなければ就職もできなくて、引きこもりになる
- あんなに素直で親の言うことを聞く子だったのに
- 親なら学校に行かせるようにしなくちゃ
この言葉から想像するのは、学校にいかない子供の姿より、子供のことを心配して、悲痛な顔をした焦っている親ではないでしょうか?おそらく私は辛そうな顔をしていることが多かったと思いますし、子供にも辛く当たったりしたのを思い出すと今でも胸がぎゅっとなります。
この経験から私が得た学びは、そもそも自分の子供が変わらないなんて思うのは親の勝手な思い込み(願望)であると言うこと。自分もどんどん考えや環境も変わって人格形成を繰り返しているのに、自分の子供が小さい時からそのままなんてことはちょっとないなと。
我が子が幸せそうに見えること。好きなことがあって、会話もして、ご飯も食べて健康そう。我が子の観察をすることで、安心した後は、私は何ができるか?と言う考えに切り替わりました。

決めつけている自分にどう気づくか?
これもいろんな方法があると思いますが、私がどうしているかに焦点を当てます。
1. 私はモヤモヤすることがあるとまず文字にします。あまり考えずに思いつくままに文字で表現します。
2. 終わったら読み返します。その時に誰の視点で書かれているのかを考えます。(だいたいは私視点)
3. これを相手視点で状況を見直します。この見直しが重要で、相手にとって大事なものは何かで考え直します。
4. 相手の大事にしていることを考えながら、私がどうありたいかを考えます。
こうやって私はストーリーの主人公を入れ替えて考えるようにしています。
ただ、このように文章にすると、結構大変そうですよね。自分も本当にいつもいつもそうしているか?といえば、正直に言うと。。。いつもではない。。。と思います。ですが、自分の大事な人とのコミュニケーションにおいては、私の価値観を押し付けるより、相手の価値観を理解した上で、その人の大事にしていることが実現できるよう私ができることは何か?と考える方がよっぽど私らしくて気持ちがいい。モヤっとすることには、何か大事なものが潜んでいるはず。ここで私が時間をかけて考えることで、私が大事にしたい人たちとより良い関係構築ができるのであれば、私にとってその時間を費やす価値があると思っています。
でもコミュニケーションって結構瞬発的に起こったりしますよね?決めつけに気づく間もなく終わっちゃうなんて言うこともあるはず。私は後で「やっちまった」と気づいた時も、気付かされた時も、その通りなら必ず謝ります。それは、子供であろうと、大人であろうと同じです。
補足ですが、私は人との対話だけではなく、自分との対話にも、私の思い込みはなんだろう?決めつけはなんだろうと考えることを癖づけています。そうすることで私の価値観や信念を明確化したりします。これはまた別のトピックでも書いてみますね。
まとめ
さて、”決めつけ”とはどんなことを指していて、どのようにご自身のコミュニケーションの中で見つけていくかにはイメージがついてきましたでしょうか?日本語の決めつけと言う響きがやや、ネガティブにも聞こえてしまうかもしれませんが、自分の価値観でコミュニケーションをとってしまうことも、思い込むことも、人間なので当たり前です。重要なのは、まず気づくこと。気づいた上で、それがコミュニケーション上うまく機能していなさそうなら修正すればいいだけです。ぜひ、この感情の主人公は誰なのか?誰視点なのか?を考えて、それが自分なのであれば、相手を主人公に置き換えてストーリーを展開させてみてください。きっと違った視点が見えてくるはずです。